『万葉集』中、ナデシコをよむ歌
→カワラナデシコ
長歌
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となみやま(砺波山) たむけ(手向)のかみ(神)に ぬさ(幣)まつ(奉)り あ(吾)がこ(乞)ひの(祈)まく はしけやし きみ(君)がただか(正香)を まさきくも ありたもとほ(徘徊)り
つき(月)たたば とき(時)もかはさず なでしこが はな(花)のさかりに あひ見しめとそ
反歌
うらご(恋)ひし わがせ(背)のきみ(君)は なでしこが
はな(花)にもがもな あさなあさな(朝朝)見む (17/4008;4010,大伴池主)
おほきみの とほのみかど(朝廷)と ま(任)きたまふ 官のまにま
みゆきふる こし(越)にくたり来 あらたまの としの五年
しきたへの 手枕まかず ひもとかず まろ宿(ね)をすれば
いぶせみと 情(こころ)なぐさに なでしこを や戸(宿)にま(蒔)きお(生)ほし
夏のの(野)の さゆりひ(引)きう(植)ゑて 開(さ)く花を い(出)で見るごとに
なでしこが そのはなづま(花妻)に さゆり花 ゆり(後)もあ(逢)はむと
なぐさむる こころ(心)しな(無)くは あまさかる ひな(鄙)に一日も あるべくもあれや
反歌
なでしこが 花見るごとに をとめらが ゑまひのにほひ おもほゆるかも
さゆり花 ゆりも相はむと したはふる こころしなくは 今日もへ(経)めやも
(18/4113;4114;4115,大伴家持「庭の中の花に歌を作る」)
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短歌
射目立てて 跡見(とみ)の岳辺(をかべ)の 瞿麦(なでしこ)の花 総(ふさ)手折り
吾は去(ゆ)きなむ 寧楽(奈良)人の為 (8/1549,紀鹿人)
高円の 秋の野の上の 瞿麦の花 うらわかみ
人の挿頭(かざ)しし 瞿麦の花 (8/1610,丹生女王)
野邊見れば 瞿麦の花 咲きにけり 吾が待つ秋は 近づくらしも (10/1972,読人知らず)
ひともと(一本)の なでしこう(植)ゑし そのこころ(心)
たれ(誰)にか見せむ とおも(思)ひそめけむ
(18/4070,大伴家持。「庭中の牛麦花(なでしこ)を詠む歌」。牛麦は、瞿麦と諧音)
秋さらば 見つつ思(しの)べと 妹が殖ゑし
屋前(やど,には)の石竹(なでしこ) 開(さ)きにけるかも
(3/464,大伴家持「砌(みぎり)の上(ほとり)の瞿麦の花を見て作る歌」)
石竹の その花にもが 朝な旦な 手に取り持ちて 恋ひぬ日無けむ (3/408,大伴家持)
隠りのみ 恋ふれば苦し 瞿麦の 花に開き出よ 朝な旦な見む (10/1992,読人知らず)
吾が屋外(やど)に 蒔きし瞿麦 何時しかも 花に咲きなむ なそ(比)へつつ見む
(8/1448,大伴家持)
(755)五月九日兵部少輔大伴宿禰家持の宅に集飲する歌
わがせこ(背子)が やど(宿)のなでしこ ひ(日)なら(並)べて
あめ(雨)はふ(降)れども いろ(色)もかは(変)らず (20/4442,大原真人今城)
ひさかたの あめ(雨)はふ(降)りしく なでしこが
いやはつはな(初花)に こ(恋)ひしきわ(吾)がせ(背) (20/4443,大伴家持)
同月十一日、左大臣橘卿・右大弁丹比国人真人の宅に宴する歌三首
わがやど(宿)に さ(咲)けるなでしこ まひ(幣)はせむ
ゆめはな(花)ち(散)るな いやをちにさ(咲)け (20/4446,丹比国人真人)
まひ(幣)しつつ きみ(君)がおほせる なでしこが
はな(花)のみと(訪)はむ きみ(君)ならなくに (20/4447,橘諸兄)
十八日、左大臣の 兵部卿橘奈良麿朝臣の宅に宴する歌三首
なでしこが はな(花)と(取)りも(持)ちて うつらうつら
み(見)まくのほ(欲)しき きみ(君)にあるかも (20/4449,治部卿船主)
わがせこ(背子)が やど(宿)のなでしこ ち(散)らめやも
いやはつはな(初花)に さ(咲)きはま(増)すとも
うるはしみ あ(吾)がも(思)ふきみ(君)は なでしこが
はな(花)になそ(比)へて み(見)れどあ(飽)かぬかも (20/4450;4451,大伴家持)
吾が屋前の 瞿麦の花 盛りなり 手折りて一目 見せむ児もがな
(8/1496,大伴家持「石竹花歌」)
瞿麦は 咲きて落(ち)りぬと 人は言へど 吾が標めし野の 花にあらめやも
(8/1510,大伴家持)
朝毎に 吾が見る屋戸の 瞿麦の 花にも君は ありこせぬかも
(8/1616,笠郎女大伴家持に贈る歌)
見渡せば 向ひの野邊の 石竹の 落らまく惜しも 雨なふりそね (10/1970,読人知らず)
なでしこは秋咲く物を君が宅の雪の巌にさけりけるかも
(19/4231,久米広縄。雪を積んで巌を彫刻し、そこに草や木の花を彩り作った)
雪の島巌に殖ゑたるなでしこは千代に開かぬか君が挿頭(かざし)に
(19/4232,遊行女(あそびめ)蒲生娘子。同上)
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